物々交換店の果ては、ゴミ箱なのか?宝の山となるのか? 人間の愚かさや奥深さなどがお店作りに最も顕著に出やすく運営の舵取りが最も難しい業態と言われる物々交換の店にチャレンジしてみようと超優良企業の実績をあえて投げ打って未来を見据えた意味深い実験期間を会社の歴史に刻んで行こうと言う約束を社員一同でしてきました。 その物々交換の業務は、私たちにいかに無知で愚かであるかを思い知らされる日々の悪戦苦闘を生み出しています。 その日々の繰り返しの苦闘の中に、物々交換の宝の山探しをしています。 物々交換における宝の山探しと言うと、目先の面白みや喧伝されやすいわらしべ長者がサクセスストーリーとなるように勘違いされがちです。 たとえば、一本のピンが交換を繰り返されていく果てについには一軒の家と交換できてしまうような話題です。 しかし、そのような物々交換に本当の宝が存在するとは思えないと、コレコーレのスタッフたちは考えています。 誰か一人が宝くじに当たるような内容に人々の善意が利用されたりするような不思議な成功、たとえ成功したとしても、その成した功が社会に対して有意義な一石を投じる力をもたないサクセスは、どのような歴史においても本当の成功とは認めないだろうと感じるからです。 事業における成功とは、社会から受けた様々な恩恵を、人智を尽くしてより求められる有益なサービスや製品、技術などに加工して社会へ返すという循環の中にしか存在しないものです。 当然、社会から受ける恩恵は、人々が納めてきた税金による社会インフラだけではありません。 まずは、働いて頂く仲間や働かせて頂ける私自身などの個人ひとり一人が受けてきている社会からの恩恵の循環の産物である自覚から始まります。その自覚に基づく人智の努力の成果を社会への恩返しを行う責任と義務を十分に理解することが何よりも社会人の条件になります。 その責任と義務をもっとも自身への納得に昇華させるために、事業をなすべきであり、事業に集うすべての人・金・物・心・情報の意義に道筋をつけていくべき経営の大原則があります。 それらを踏まえてこそ事業として加工し続ける日々に必然的に恩恵の循環が実現されるものであり、なにも特別にボランティア活動や社会への特別な恩返し活動など必要のないことであり、事業の役割そのものに本質的ボランティア効果が内在されていると言い切れるほどにベーシックな企業アイデンティティーの骨格を成すものです。 しかし、私たちはその当たり前の、当然のように身にしみて会得しなければならない社会からの恩恵を未だに十分に理解できていない愚か者の集団です。 そのような私達の未熟さを働く仲間の相互が理解した上で、物々交換という事業となりえない事業をあえて事業としてチャレンジすることで、大切なアイデンティティーをさらに深く会得していける可能性となることを信じています。 また、同時にそのチャレンジから得る「宝」とは何だろうとも思考しています。 世界の、人類の歴史において、事業の基礎となった物々交換が非合理、非便利性というレッテルの中で、容赦なく淘汰されてきた物々交換を支えた人間ありきの流通手段は、事業としては存在しえなくなった社会が世界を席捲し続けてきた中で、脱物々交換流通が当然とする考えとして何の疑問の余地もなく絶対価値観のように固定化されたマネー社会を神話化させてきました。 しかし、インターネットという新たな社会インフラのシステムで従来のピラミッド社会におけるシステムや価値は根本から崩壊し、何一つ固定化させて物事を推し量ることのできない社会へ突入してきました。 そのようなあらゆるシステムや価値の流動の社会において目先の決まりごとや常識で未来を推し量ることができないのは、必然なことです。 現代の人類史上に前例の無いあらゆるものの流動、大移動と個移動の混在社会において宝物の内容に絶対性なども存在しなくなるのかも知れません。 また、「ゴミ」も重要な資源の宝の山といわれる資源リサイクルの世界情勢の中で、従来のゴミの真価も根底から見直さなければなりません。 今までの物々交換の店は、どれほどよい品揃えでスタートを切ってもことごとく一般的な目線でのなりの果ては、「ゴミの山」として見捨てられ、驚くほどのスピードでお客様の来店減少していく運命を繰り返すばかりでした。 それらの失敗の本質は、交換という手法だけにアイデアがとらわれて、交換を支える精神の大切さを軽んじたからだろうと考えています。 物には、メッセージがあり、メッセージが形となったものが物の本質です。 また、メッセージへの思いが強ければ強いほどに物は意志を顕在化させているものです。 メッセージの本質は、精神であるという解釈を前提に交換を考えれば、精神を無視した単に物体の交換ということは、起こりえないという解釈を行う人々が無数に存在する現実に出会います。 そして、ドライに効率的に切り分けられた物流システムの中で、無言の物の声を聞いてきた人々の愛すべき品物への別れ方に効率性だけでは納得しがたい違和感を感じている無数の人々に支えられるべくして支えられる未来にも共存できる交換の場が存在するのではないだろうかと考えています。 人間の美徳の中にこそ交流する無言の物の声の質は、社会でよりよく生きる気持ちよさやその気持ちよさへの共感の輪を広げていくことへの大切さを十分に理解されている現実を日々の物々交換事業の中に学びを生み出してくれています。 それらの学びこそが、人間としての未熟さを痛感した私たちの最も大切な宝なのだと考えています。 そして、その学びの成果を言い訳のきかない作品として日々形づくられていくものがコレコーレという物々交換のお店となっていくのだろうと考えています。 |